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●ローマイヤストーリー
 


肉料理の習慣がなかった日本で、ロースハムを発明・普及させた功労者

 創業者 アウグストローマイヤ
 谷崎潤一郎の小説「細雪」の一節に、<妙子は銀座まで出かけるなら、話に聞いてゐるニュウグランドかローマイヤアへ行きたいとと云ふので、ローマイヤアと云ふことにした>とある。昭和18年に発表された当時、既にローマイヤは格式ある銀座のレストランとして名高かった。今のようなグルメ時代になるずっと前、ローマイヤといえば神聖な響きさえあったのだ。
 ローマイヤの創業者のアウグスト・ローマイヤは1892年、北方の町ラーデンに生まれる。第一次大戦ではUボートに乗って転戦し、青島で捕虜となり日本へやってきた。
 捕虜釈放後、祖国は敗戦国に。日本で自分の技術を生かそう、ドイツの誇る食品を日本に広めよう、そう思った若きアウグストの心は燃えた。帝国ホテルに採用されたが、すぐに出資者を得て、釈放から一年あまりで早くも山手線大崎駅の南に合資会社ローマイヤ・ソーセージ製造所を創業した。そして、日本女性のふささんと結婚。ふたりの息子と一人の娘をもうける。ローマイヤといえばロースハム、と今では誰もが思い浮かべるが、ローマイヤを軌道に乗せたのはまさにロースハムの発明だった。当時、豚肉は、モモ肉をハム、ソーセージの加工に使い、肩やバラ肉は横浜中華街などで需要があったくらいで、ロース肉の消費はほとんどなかった。アウグストはこの有効利用を考え、ロース肉を巻いて、牛の盲腸に詰め、スモークした。そしてインスタントに食卓で切って食べられるように、これをボイルして売り出したところ、これが受けた。当初はボイルドハムとかロールハムとも呼ばれたが、後にロースハムとして定着。現在に至っているのである。
 アウグストは徹底的な職人肌だったようだ。夜明けから日没まで働いて、やっと働いた気になる。せめて七時でやめようというと、うちは銀行じゃないと答えたという。が、仕事以外では穏和で、ゲーリークーパーよりハンサムだったという人もいる。
 ローマイヤといえば銀座のレストランを懐かしむ人も多いことだろう。一階ははデリカテッセンの売り場、その奥に客席、三階も客席があり、かつては二階にバーがあった。多くの文化人たちに愛され、アイスバイン、ドイツ風シチュウ、ザワークラウトなど、本場の味を知る人を満足させていた。残念ながらこのレストランは三年前にビル改築の目的で壊され、今のところ再建の予定はない。
 昭和37年、アウグスト死去。長年の飲み過ぎが祟ったのかも知れなかった。大のビール好きで、一夜で4ダース空けたこともあるという。飲むと必ず出る自慢話は、兄が海軍士官としてエムデン号に乗っていたこと、自分が海軍のレスリングチャンピオンだったということだった。今は横浜の外人墓地に眠っている。
 一度だけドイツへ帰ったことがあったが、人の心が冷たく変わっていることを知り、早々に引き揚げてしまい、船で神戸港に戻ったとき、涙があふれて仕方がなかったともらしている。もはや彼にとっての故郷は日本だったのであろうか。
 その後、長男ウィリアムがレストランを継ぎ、次男オットはソーセージ職人となって二代目のローマイヤを立派に継承した。親譲りの職人気質で、現在の工場の技術者のほとんどはオットから学んでいる。
サライ1994年 第12号より抜粋
 
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